1954-04-23 第19回国会 参議院 文部委員会 第27号
ところが労働権剥奪されて、しばしば人事院勧告が無視されているような中でどうしてもこれはいかんというので、私が知つている限りにおいては高知、琴平大会においてやはり我々は自分たちの正当な権利を行使して、少なくも国会において予算の問題はあるとしても、せめて人事院の勧告という線を何とか貫いて行きたい。そのためにはいろいろなことをやつても無理だから選挙闘争というものをやはりやらなければならんじやないか。
ところが労働権剥奪されて、しばしば人事院勧告が無視されているような中でどうしてもこれはいかんというので、私が知つている限りにおいては高知、琴平大会においてやはり我々は自分たちの正当な権利を行使して、少なくも国会において予算の問題はあるとしても、せめて人事院の勧告という線を何とか貫いて行きたい。そのためにはいろいろなことをやつても無理だから選挙闘争というものをやはりやらなければならんじやないか。
さらにまた日教組の本部からは、こういう「指令第二十三号」でありますが、「五月一日、二日、三日に行われる琴平大会までの暫定鬪争方針として、別項のごとき指令等二十三号を作成、十日各都道府県教組に指令した。なお中央執行委員会では、十三日より二十日までの間日教組推薦候補者の参議院選挙対策、琴平の定期大会準備打合せ、さらに指令二十三号の徹底化を期すべく地方各ブロックにオルグを派遣することとなつた。」
○加藤證人 琴平大会におきましての速記録を見ましても、不当馘首を受けたときそれらの人を組合員と認めるというふうな決議はなされておりますが、組合員として認めるというのは当局と交渉して認めさせるというような字句が入つておりまして、琴平大会の速記録は必ずしもその点が明確に何人も疑問のないような速記録ではないのであります。
○聽濤委員 この間の琴平大会のとき、加藤委員長はこういうふうな発言をなさつていると聞いておるのです。それは私を除く他の全部の中鬪委員は吉田内閣にぶつかれ、私はGHQにぶつかるというか、体当りするというか、そういうふうにやるというような趣旨のことを言われたと聞いておるのですが、どうでございますか。
○加藤證人 琴平大会のときに、馘首はもう大体行われるであろうということは考えておりました。
○吉武委員 琴平大会では‥‥。
○城戸崎証人 御承知の通り琴平大会でその決定がされました。それ以前はそういう問題はなかつたわけです。ですからこれは各支部の自主性によつて、どこの分会でも琴平大会以前に縣労会議加入の事実はあつたわけです。
○菊川証人 この鬪爭方針では琴平大会の、大会決議の具体化が第一項、第二項は鬪爭目標、第三項は、具体的鬪爭方法、その具体的鬪爭の方法の中で宣傳戰を強化するということ、それから遵法鬪爭を活溌に行うということと、第三番目は不正摘発鬪爭を行う、関連産業との共同鬪爭を強化する、團体交渉を行う。それから今日の議論の中心になると思いますところのストをも含む実力行使を行う、こういうような六項目です。
しかもここで大事なことは、第一の点、大会決議の具体化の第一項目がありますね、これは琴平大会で決定さ、れた一九四九年の鬪爭方針ですか、これに基いて、しかもその後の諸経驗を生かしてというふうになつておるので、從つてこの中央委員会の権限は琴平大会の決定をひつくりかえす力はないのだということをはつきりさせる必要があると思う。
それから琴平大会で國鉄防衞鬪爭というふうなことを言われておりますが、なぜああいう呼名をつけなければならなかつたような状態にあつたのか、この点一つだけお尋ねしたい。
○鈴木証人 熱海における決議は、琴平大会において國鉄防衛の方針が打立てられまして、それをさらに一歩進める役割をしたのが熱海の中央委員会だというふうに考えております。
○鍛冶委員長 琴平大会においてどういうことがきまつたということならよいけれども、それに敷衍したことは……。
わが党は、住民の要求の切なるものがありますがゆえに、すでに全逓労働組合がかつて琴平大会におきまして決定し、具体案までつくつて政府にその実施を要求いたしましたところの、一村一局運動を強く支持して参つたのであります。